■ Assist ■
私はこのホームページでは『絵を見るのに言葉はいらない』と書いている。
しかし、私のあまりにも形のない、いわゆる抽象画がわからない、絵解き?といえばいいのだろうか、それが難しいという。
わかってもらえるまでの道のりが私にはまだ遠いこともあるかもしれないが、ただ感じてほしいだ。
よって、ここでは絵を描いた時の気持ち、どういう思いを表現したかったのかを、同じことがブログにも書かれている為、端的に書いてみることにした。
この文章を読んでみて、私の絵をどう感じるか、それは見る人の心次第。
それだけは変わらない。
それを信じることとする。
『平穏』
外がシンと冷える冬の空気の中、部屋の中は暖かい。
外には犬が日を浴びながら寝ている。早咲きの梅も咲いている。
そんなお正月の穏やかな昼間を表現したもの。
『紫』
紫は私の好きな色。
昔から高貴な色であったり、優しい藤色、ピンクに近い穏やかな色、青に近い中間な感覚を持つ色、
これらのイメージが私の中にある。
紫の世界の広がりを描きたかった一枚。
『喜び』
一歩一歩踏みしめて少しずつ目標へ到達する、その過程ですら喜びとなることをイメージして描いた。
右が一枚目であり、山を一歩ずつ上り目標である黄色い丸がある。
左の二枚目は空までふわりと上り、ブルーの目標の丸を水色の自分の手で包むようにつかむ様子を表現した。
『陽だまりの人』
私が気が向いたら行く喫茶店がある。
そこは地元の人が集まる喫茶店。失礼ながらおしゃれなどではないがなぜか落ち着くのだ。
そこである方と出会った。そして、話をするようになった。
その方は父親とほとんど年齢の違わない方で、喋る江戸弁が耳に心地いい。
その方がいると、不思議と色々な人が集まってくる。
どうやら皆知り合いらしい。
ちょっと知っている人を見かけると「おぅ!まぁ入れよ」
と自分の家でもないのに喫茶店に入れてしまう。
そう、その方は長い人生の中で色々あり、あったであろうが、こうして今、私の目の前で輝いている。
そしてその方は色々な人に囲まれ、暖かな環を作り出しているのだ。
皆が彼を愛している。
『登る』
ロッククライミングをする、こととする。
岩は反り上がり、指の一本一本、足の指にも力が入る。
そしてふと次の一歩を見つけるとまた上へと踏み出す。
こんな暇はないかもしれないが、本当にふとした瞬間に岩の間に花が咲いていたり、空が見えてくるかもしれない。
『アイデンティティ不在』
もし自分というものが以前明確であって、それらが不明確になり分散してしまったらどうなるだろう。
すさまじい心の混乱をきたし、頭を抱え込むだろう。
『秋の木の葉』
色々な色の混ざる季節。
足元も、目の前にも。
そして合間合間に空の青さがチラチラと見え隠れするのだ。
『空と海』
実家の近くの海。よく犬の散歩へ行った。
海を前に私は階段に座り、犬も横に座る。
あるとき光によって、海と空が同じように見えたことがあった。
海の色は空の色で決まる。その隙間に見えた色。
『夢の境地』
夢というのは、ここでは憧れの場所を意味する。
心地よい、幸せな場所とはどのような場所なのだろう。具体的ではなく、ただふわふわと浮かぶように心地よい幸せ。
それらは色々なものの組み合わせで混ざり合うように出来上がっているに違いない。
一つだと飽きてしまうだろうから。
『Summer sky』
まだまだ暑いが夏も終わりに近づいた頃、空を見上げると夏の暑さと秋の雲が混ざり合うように季節が変わっていくのが見えた。
『夢を見る木1,2,3』
木も動物と同じように眠る。夜に寝ていると色々な昼間の出来事が映し出されて放出される。
夜寝ているときに虫が来てくすぐったいと思いながらも受け止める。
木はいつも受け止め、受け入れる。
光も風も雨も、そしてほかの生き物も、自分の運命ですらも。
そしてまた眠りにつく。
『洋なし』
洋なしは私にとってとても魅力的な果物だ。
一つ一つ形が違うのはもちろん、重さも、味ももちろん違う。
どっしりとしたお尻、いびつさ、そんなものが私を誘う。
『唐辛子』左・中央・右
乾燥した唐辛子もまた私には魅力的だ。
同じく一つ一つ形も違い、しわの入り方も違う。
乾燥したしわの一面一面を丁寧に目でなぞる。
じっと見ていると色が見えてくる。
それらの面を表現したく描いたもの。
『輝く空』
ふと見上げた空の雲の切れ目。
輝いているように見えた。晴れ渡った輝く空。
『晴れる心』
もやもやとしていた心、悩みなどが閃きによってすっと抜けていく瞬間。
その瞬間には心の曇りを晴らすような雲が流れ、その向こうには光が待っているに違いない。
『月を隠す雲』
雲シリーズの絵だが、この雲の裏には輝いている満月がある。満月の色はさまざまな色を雲に反射しているように、青は夜、赤や黄などの暖色系は昼間の夕暮れなどを表してみた。
金、銀はもちろん月が映し出した雲の色。
『茜空』
これもまた雲シリーズであるが、昼間から夕方の日暮れに変化する様子を表現したもの。ブルーやグリーンが下にあるのはそのため。(別に意図して縫っているわけではない。自然とそうなった。)
『茜空』
私は実家にいる頃、よく犬と海へ行き、色々な空を見てきた。
夕方の散歩で見た海の上に滑るように重なっている夕日に照らされた空を表現したもの。
『夕暮れの海』
これも実家の海。夕暮れになる直前辺りの海の様子。
上記の作品も含め、これらはソフトパステルで描かれており、何の計算もなく、ただただ10年ぶりに手にした画材が嬉しく、子供の様に純粋な気持ちで描いたもののような気がする。
『Closs over the light』
色を作り出す光が交錯する様を描いたもの。色の重なりは手が勝手に思いついて描いたもので意図はない。
『水紋』
光と色は切り離すことはできない。光があるから色がある。
そんなことを思いながら池を眺めていた時に見えた光と水の色に心を奪われた。
『色彩のパズル』
小さな窓から朝の差し込んだ光。私がいる部屋はまだ薄暗いのに、外はとてもまぶしかった。
まぶしい外には何があるのだろう。
『柔らかな光』
暖かく優しい壁の色。そこに差し込んだ光がさらに部屋の暖かさを増し、私の心もほっとさせられた瞬間だった。暖かさ、というものはこんなにも私の心に影響するものなのか、そんなことも考えた。
『南瓜』
洋ナシと同様、かぼちゃも私にとっては魅力的。色も肌艶も重さもそれぞれ。こんなに個性のある店に並ぶ野菜はあるだろうか?店に並ぶものは大抵形や大きさが揃っているのが普通。
以前父親と一緒に区画を借りて野菜を作ったとき、どの野菜もとても魅力的だった。収穫する父の笑顔。
そのことを思い出し、私は父親への愛情とともにこの南瓜を描いた。
父の嬉しそうな笑顔は私が生きている間はずっと私の心に残るだろう。
『獅子柚子』
近所の農家の方々が集まって営業している店がある。朝収穫してそのまま店に並ぶ。
その中に今まで見たこともないような大きな柚子があった。
大きさはハンドボール程。
ゴツゴツとした感触。
これもまた買わずにはいられない。描かずにはいられない。
何の迷いもなくキャンバスに色を乗せた。とにかく筆は止まらなかった。
本当に素敵な出会いだった。
そして彼女は最後はジャムになった。
『勇気を出す一歩』
子供の像がただ歩むのではなく意思を持ち、初めて自分のその意志で歩みだそうとする瞬間を描いた。
彼に必要な水、緑、踏みしめる土、そして彼や家族の心。
これが揃えば生きていけるのではないだろうか。
人も意識した初めの一歩というものにはとても大きな勇気と重さがあるはずだ。
その一歩を踏み出すことを私も忘れない。
『削れる』
私の命が鉛筆だとしたならば、絵を描くたびに、手の中にあるクレヨンと同じように削れていくのだろうか?
それとも積み上げられていくのだろうか?
どちらなのかは今はまだ分からない。
『稔』
色々な野菜や果物、それらを作る種があり、それらが実を結ぶ。
その稔り(みのり)の生命の循環、稔りの喜びを描いた。
稔は人間にとっても大切なものである。
『分散の中の統一』
世の中はさまざまな考え方、一人一人が常識だと思っていることが他人と違っていたりすることが実に多い。
だが、その中にも本当に生物的に考えると統一される常識があるのではないだろうか。
世の中に存在する自分があるということは、常識であり、命が消えることがあるのも宿命であり、これらは絶対である。
『満月』
夜空を見上げると満月だった。
一瞬満月が雲に隠れた。
『沈丁花の咲く夜は』
夜、駅からの帰り道、ふっと沈丁花の香りがした。
沈丁花の姿は見当たらない。
私は毎年、この香りに出会う度、新しい季節の訪れを感じるのだ。
『カラー』
カラーの花は花から茎への線、がとても美しい。
その中の花びらをじっと観察すると細かく筋が入り、何とも言えない気持ちになる。
カラーの花は6月ごろに咲く。
梅雨の季節。
雨粒がカラーの花に乗る。
『スプラッシュ』
私は庭のプランターに東南アジアでよく食べられるパクチーを種から植えた。
なかなか生えてこないな、と思っていた為、申し訳ないことに暫く目に止まらなくなった。
そしてある日気が付いた。
ちゃんと大きくなり、空に向かって葉を広げて勢いがあったのだ。
まるでホースを上に向けて水を散らしたように。
『チューリップ』
これも10年ほど描けなかった時期に頂いたパステルで描いたものだ。
恐る恐る、私の好きな先のとがって広がるチューリップを描いてみた。
なぜだかこのような絵が出来上がった。
今の絵に至るまでの原点になったような絵でもある。
『パプリカ』
肉厚でパンとはったパプリカ。
手に取ると本当においしそうだ、と感じた。
だが、こんなにおいしそうなのにすぐに食べてしまってはもったいない。
だから急いで手を動かした。
パンと張ったパプリカは、まるで周りの空気を二つに割ったような
雰囲気をまとっていた。
『ムスカリ』
ムスカリの花は急に伸びていつの間にか春の花を咲かせる。その10cm位の一本で生える花だが、勢いは生命力にあふれている。
私はそのうちの数本を少しいただこうと覆った。
そして横着にも手で切らせてもらおうとしたらスポット抜けてしまい、そうして初めて知ったのだがラディッシュ程の球根だったのだ。
球根なのに玄関までの数メートルはムスカリに覆われている。
ムスカリの力強さ、勢いに魅力を感じ、表現してみた。
『呑み込まれる』
もし自分の感情というものが何かによって消失されてしまうとしたならば、
一体どのようにして消失されていくのだろうか。
きっと、まずは世界がクリーム色に見え、それから多々ある感情が黒に血すら塗り固められ、
次第に何もなくなると考える。
それでも、何もなくても、一つくらい何らかの穴があってもいいんじゃないか?
一つ塗りこめ忘れた穴くらいあってほしい。
『窓の外の心象風景』
はめ込まれて開かない窓枠が一つ。
自分は出ることはできず、眺めるだけ。気温すらわからない。
そのような状況の時、窓の外は自分にはどのように見えるのだろうか。
優しさも感じられるが、自分には暗く映る強い現実もあるはずだ。
『おもちゃ箱』
おもちゃの箱にはガチャガチャと楽しそうなものがたくさん入っていた思い出がある。
今から何で遊ぼう、あれもこれも迷う。
そんなにたくさんのおもちゃを与えられていたわけではないが、工夫して想像しながら遊んだ気がする。
それを形にしてみた。
また、この絵は『グラフィックアート』と『ハンドメイドアート』の違いはどこに現れるのか、雰囲気で違ってくるものなのだろうか、という実験的側面も持ち合わせた絵である。
今後この絵をもとに完全なハンドメイドアートを作成する予定。
『アンビバレンス~薄氷~』
返事をしても、それが心の中と一致しているとは限らない自分がいる時がある。
簡単に言えば、『いいよ』、といいながら、『嫌だ』、と思っていたり、という話だ。
そんな簡単な話では片付かないのだが、とにかく心の中で二つの相反する感情が生まれる時がある。
その時、私は薄氷の上に立たされる。
この作品は、わざと画面を二つに割って作成した。二つに割る、ということはかなり珍しく、なんだかタブーのような気がするがあえてトライしてみたものである。
『春の雨音』
春にはよく雨が降る。雨が降るたびに暖かくなる。
春の長雨の中に、『穀雨』(こくう)という日がある。春の雨は穀物の成長にとって欠かせない、という意味があるらしい。
そのとおり、その日だけではなく春の長雨は木々や草花の成長を日々感じさせられる。
『おもちゃ箱』
子供が好きなおもちゃを思い切り選びつかむ姿を表現したかった。
おもちゃに手を伸ばす手。
純粋でとても魅力的に感じる。
『山の蛍』
一度だけとある山で夜、蛍を飛ぶのを見たことがある。
それが最近身近にいることが分かった。
昼間に蛍を2匹見つけたのだ。
家の近辺は山ではないが、思えば川べりは近い。
今年は一人でぽつぽつ歩きながら蛍を見に行こうと思った。
夜は田んぼに蛙の声が聞こえ、夏の訪れを感じた。
『海中』
私は海に潜ったことがない。これは私の想像の世界だ。
きっと多種多様な生物が陸上と同じように食物連鎖があり美しい姿をしているのだろう。
『ほおずき1』
私はお盆の時期にほおずきを玄関扉に飾ることにしている。
お盆だから、という理由ではなく、単に美しくかわいくもある房が好きなのだ。
『ほおずき2』
ほおずきは色々な角度から見てもとてもかわいい。
軽さ、形の面白さ、色、中には実が入っているというお楽しみまであるのだから。
『祈り』
自分がこれからどうなりたいのか、周囲の人や皆の幸せを祈って。
『ダンス』
深い意味を込めた心の踊り。嬉しいだけではなく。
『日の照る場所』
まぶしく光る人、木々、海、様々なものを表現したもの。
円は自己愛を表すのだという。だが、自己愛と言っても『自分を愛していること』ではなく、私の場合は『自己愛を求める』なのである。
『繋がる』
私たちは色々なものに囲まれ、必ず何かに繋がって生きている。
『光の扉』
ある春の日、カーテンから漏れる光を見て感じたものを描いた。
光は様々なものを色として、形として映し出す。
『獅子柚子2013_2』
ハンドボール大の柚子。大胆な形をしており、とても魅力的な存在で、毎年買ってしまう。
思い切りのいい形なので、私も大きく(1,170cm正方形)思い切りよく描いてみた。
『人』
壁にぶつかっていた人間が、隙間から喜びを見つけた様子を描いた。
大喜び、というよりも心の中に嬉しさが宿った瞬間。
『グレープフルーツ』
5月はグレープフルーツのおいしい季節。
いい香りに包まれながら、幸せな気持ちで描けた一枚。他にも2枚作成。そのくらい魅力的なグレープフルーツだった。
『ほうける(呆ける・惚ける)』
人が忽然と何かに取りつかれたように固まっている様を描いた。
『赤いステッキを持つ人』
信号待ちをしている、おしゃれな赤いステッキを持っている人を描いた。こうして、ステッキとともに前へ進んでいく。
『夏』
友人となかなか行かない場所で待ち合わせをした。
慣れない場所なので上の看板ばかりを見ていた。
そんなときに緑の木々と青い空、光が見えた。
『雲の切れ間』
夏の大きな雲から少しだけ太陽が見えた。
曇天も続く中、複雑な色をみた。
『あざ笑う』
皆どの人も一生懸命生きている。それを笑える人がいるだろうか。笑うことはできないはずだ。